怖いところはクリックしない、という中高年インターネットユーザーの特性がある一方で、クリック自分の思ったところで出来ないとストレスがたまるということは他のコラムでも記した。

しかし、あまりにもクリックにまつわる逸話が多いためにもう一度掲載しよう。「ちょっと、先生、開かないんだけど何で?」インターネットを教室でする人によく聞かれる言葉だ。

素材集などはインターネットから持ってくることも多く、教室では日常的にインターネットを活用しているのだが、どうしても理解できない「リンクのなさ」に戸惑う。「頭の中ではわかっているけど自分の思ったところでクリックできない」ということについても自分が悪いと思っている人は多い。多くの初心者は「自分が悪い」と責めがちなのだが、やはりそのときにも「そうよね、私がまだ慣れていないから間違えてクリックしちゃうのよね」とおっしゃる。

うちの教室は、まっとーなパソコン教室なので「指のマークになったらクリック!」と伝えているのにもかかわらず、指のマークにならないのに一生懸命クリック、はたまたイライラしながらダブルクリックをなさって「次のページにいかない!」次のページにいくときは、指のマークになってからですよ、と伝えても「だって指のマークにならないんだもん!」ぐっ、そうきたか、と思う。

できないのは自分が悪いが、思うとおりに行かないのは、機械が悪いと考える。

しかし!どうもインターネットのクリックに関しては別物らしい。

なぜならば、クリックに関しては慣れている行為だから。#例えば、プラグインのインストールを求められた場合、生徒さんは「まちがったところをクリックしてしまった!」と後悔する。反省する。なぜならば、クリックしたときに想定外の行動が出て、その想定外の行動はすべて自分の不徳の成すところ、と考えてしまうからだ。

しかし。通常の画面でクリックして次のページに行かないときは、生徒さんのせいではないと考える人が多いようだ。(当たり前だが)次のページに飛んでいかないのを機械のせい、もしくはホンの少し自分のせい(といっても、他の警告マークよりはずっと責任が軽い)と思う。

「クリックしているのに飛んでいかないの、どうしてかしら」「クリックしても画面が変わらないんですけど」「このクリックがうまくいかないのは私のやり方が悪いんでしょうか」(半分逆切れ)

初心者にとって、クリックして何か現れるというのはいわば、反応が間違っていないことを教えてくれるようなことである。

例えば、街中で声をかけて何の反応もなかったら・・・?「間違えた人に声をかけてしまったのかしら」「聞こえてないのかしら」色々な不安がよぎるはず。

#ちなみに、昔々、新宿の街中で友人を発見し大きな声で名前を叫んで近づいていったら「違うんですけど・・」といわれてしまった。友人と同じ制服だったので、多分、間違えられた人も誰と間違えられたかわかるはず。恥ずかしい。

クリックしたいと思われる場所にクリックできる場所を設ける、それは、座りたいと思うときに椅子があるのと同じくらい、ストレスを軽減させるために必要なことなのだ。

海外に行ったときに(最近は日本でもそうだが)さらっと座りやすいように椅子を引いてくれる、いやみなく椅子を押してくれる、そういういいオトコ的なサイトが世の中にもっと増えればいい。

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