毎日インターネットをしているシニア女性(64歳)。

先日、うまくお花を送れないと相談され
お届け先などを入力している操作シーンを見ていた。

以下は入力画面で間違えたところである。(クリックで拡大できます)
日比谷花壇
シニア層が、なぜ操作を間違えるのか、時折わからなくなる。
今回もこのブログを書くために、そのサイトにもう一度アクセスしたが
どこで間違えるのか、なぜ間違えたのか
記録メモを見なければ解らないほどであった。

彼女は日々ネットを楽しみ、お買い物も慣れている。
だから、ネットに不慣れである、とはいえない。

では、なぜ間違えるのか?私を呼ぶのか?
その間違いは、「シニア行動」によって起きるのではないだろうか、と考えた。

シニア行動とは何か

その理由が知りたくて、参考になればとこの本を読んだ。

(この本についてはまたいつか機会があれば改めて書きたいと思う。)

シニア行動とユーザビリティの関係を引用する。

-第2章 なぜ能力が衰えても自信があるのか P56--()内は補足
一定の時間で区切った場合には、(老人は)処理できる情報量が少なくなります。若いころは限られたリソースを効率的に使って、同時に複数の情報を処理ていたのが、老人になるとそれが困難になるのです。
そのため、さまざまな情報を同時に処理しなければならない運転においては、自分が運転するというそのことだけにリソースを使ってしまい、周囲の車や歩行者に注意を払うだけの余裕が残っていないのです。

64歳シニア女性は、見た目も言動も若々しい。そして、ネットに慣れている。
しかし、シニア行動によって間違いを起こしてしまったということが解る。

情報処理能力が少なくなるというシニア行動

これは上記間違え一覧から「シニア行動」によるものをピックアップしたものである。
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(クリックで拡大)

贈り主という文字を読んでいるにもかかわらず
「贈り先」と思い込んで、贈り先の住所の名前・住所を入力している。
→過去の経験を利用

「ご注文者様と同じ」というところを何気なく・意図なく押して
入力した文字が変わった時に、現状を把握するための
処理しなくてはいけない情報量が一気に流入するため、パニックになってしまう。
→情報処理能力の低下

若い人だと、「ああ、そういうことか」とすぐに想像し、理解できるが
一瞬にして情報が流入したため、状況を判断できない。
そのため「できない」という失敗体験につながってしまい、
以後近寄ることを避けられてしまう。

イレギュラーは「情報過多」になる

「いつものやり方と違うこと」は、年を取ればとるほど苦手になる。
いつも通りであれば、情報の量も少なく処理はストレスではない。

しかし、「いつもと違うこと」というのは
若いころには「新鮮」「驚き」「ワクワク」だったことが
「少し面倒なこと」に代わる。

「前と同じがいい」
「以前の方が使いやすかった」という声が
リニューアル後に出やすいのも
新しいことという「情報」が過多で
ユーザーにストレスを与えているのだ。

こちらも「過多な情報」で状況判断ができなくなり、ストップしている状態である。
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(クリックで拡大)

今まで、いろいろなものに入力してきたのが
自分の経験してきたものと異なり、尚且つ対応の仕方が経験則になく
情報過多のような状況になり、判断不能に陥った。

彼女としては、クリックして消えるのは理解できる。
だが、ほかのところをクリックするとその文字がまた入力されてしまう。
その入力された状態で送られたらどうしよう、と思ったわけだ。

操作に慣れてても加齢の影響が華麗に…

先日、若い人とご高齢者はどう違うんだろう、
どのように違ってくるんだろうと、考えていた。

小さいころ、石ころが宝石に見えていたのに
大人になると、石ころは石ころにしか見えなくなる。

新しいことに出会えてワクワクしやすい子どもと
新しいことに出会うと、ちょっと腰が引けてしまう大人。
「若い人にはついていけない」というセリフが出てくる。

「前の方がよかった」という「使えていた時」への固執。
「あの頃使えてたんだよ」という自己肯定感。
(これも老化現象の一種らしい)

経験則にないもの、考えなくてはいけないことは、
判断不能になりやすい。

もし、シニア層にウェブサイトを使ってほしいと思うなら
「シニア行動対策」は避けては通れないことを認識しなくちゃいけない。

(加齢に華麗は、言いたかっただけである。)

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