ユーザビリティとは?(2)
ウェブユーザビリティをしっかりしないと、直に売上に関係するから、大変だよねと、友人からメールが来た。白物家電のユーザビリティより、ウェブのほうが進化しているよね。じゃぁ、ユーザビリティってなんだろうと問うと、「要は使いやすさってこと」だよね、と一般的には言う。たしかに、ユーザビリティはそもそも「使いやすさ」ということである。
しかし、使いやすさだけを求めるならば、どうしてこうも複雑な機能を持つものが生まれてしまったんだろう。それは偏に技術者の責任なのだろうか。それだけじゃない、現にユーザーに意見を求めると「ああいう機能が欲しい」という意見がたくさん出てくるではないか。それがあったほうが使いやすいというのも多い。(その取捨選択は製造者のセンスが必要)
そもそも、当たり前のことだが使いやすさは人によって違う。以前、建築に興味があったときに建築関係のメーリングリストにいたのだが、「目の見えない人用の黄色い線(なんというのでしょうか?)が車椅子の人にとって非常に道を歩きにくくしているという意見が活発に交わされたことがあった。街中のユーザビリティ。なるほど。使いやすさというのは、作る人の気持ちではなくて使う人の立場に立って考えることがまず根本にある。先の例は正直極端な例だが、はずれではない。実際私の友達の車椅子の子にとっては普通の町は動きにくい。
「そんなのいろんな人がいるから、全員に対して使いやすいなんて無理だよ」という声が聞こえてきそうだ。実際その通り。
じゃぁ、何のためにユーザビリティを考えなくてはいけないのか?公共のものにはどうこう言うのは難しいが少なくとも、自社ウェブに関しては、愛を伝えたい相手に対して使いやすいようにしてあげる。使いやすいだけじゃない。ナビゲーション、言葉、それだけじゃない。
じゃあなにか。ユーザーがユーザー自身が使っているのを想定できるものかどうかだ。いくら使いやすくても、使う前に「怖い」と思ってしまったら使えない。いくら、トップ画面がきれいでも「私と違う」と思ってしまったら使わない。使いやすくても、そこをクリックすると何が出てくるのかわからないときには、使いたくない。ユーザビリティとは、一言で言うと、相手に対する愛である。そして、相手に対する想像力である。想定した相手が無理なく使える環境を自分の中で精一杯提供するのがユーザビリティである。
ユーザビリティって主観的なものだな、と言う人もいるだろう。しかし、世の中の血液型が4つしかなくて、その中で大体の傾向を見て「うんうん」といっている時代に、主観的すぎる!と反論することはできないだろう。
誰かが生活の中で、「これがもうちょっとこうだといいのに。。。」と思ってる。それを解決できるようなモノや方法を提供する。使う人の生活を楽しく、便利に、満足できるものにする。それって、まさしく愛。それが、ユーザビリティ。
手を怪我した人の気持ちはその怪我した人にしか解らないけどその人のことを大好きで、思いやって、その人ができる限り困らないようにお手伝いをするというのも、ユーザビリティだ。だから、偏にユーザビリティが使いやすさだけの事を言うのかというのは違うのだ。
参考JakobNeilsen氏によるユーザビリティの定義
- 学習しやすさ :システムは、ユーザーがそれをすぐ使い始められるよう、簡単に学習できるようにしなければならない
- 効率性 :一度学習すれば、あとは高い生産性を上げられるよう、効率的に使用できるものでなければならない
- 記憶しやすさ : ユーザーがしばらくつかわなくても、また使うときにすぐ使えるよう覚えやすくしなければならない
- エラー : エラーの発生率を低くし、エラーが起こっても回復できるようにし、かつ致命的なエラーは起こってはならない
- 主観的満足度 : ユーザーが個人的に満足できるよう、また好きになるよう、楽しく利用できなければならない
進化するウェブユーザビリティ