共感ではなく、観察を

共感と観察

「シニアをターゲットにしたビジネスをしたいけど、シニアへの共感が難しい」
「自分の周りにシニア層がいないので、シニア層の気持ちが理解できない」
ということを、たまに相談される。

同様に
「私は初心者だから、初心者の気持ちに共感できるから教えられます」
「私はシニアだからシニアの気持ちがよく解る」

などとも言われる。

中途半端な共感は怖い

共感という言葉について。

[名](スル)他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。「―を覚える」「―を呼ぶ」「彼の主張に―する」goo辞書より

「その通り」と感じるのは、自分自身である。

思うに、「共感」という言葉の中心は自分にある。
自分が見えている世界から、他人の世界を覗く。
だから、自分が基準になる。

「共感しよう」と思うと、どうしても、自分の経験してきたこととの
共通項を探すことからはじめてしまう。

自分が知らない感情は「共感」することができないし、
人間は見たいものしか見ないから
見ているようで、あまり見ていない。

例えば、初心者だから初心者の気持ちが解るという話をされたときに
その人が知らないパターンの初心者の話をすると、
「そんなこと、ありません。聞いたことありません」と答えられることがある。

そう、共感というのは非常に危ういコトバで
自分のパターンの中にないものは「共感できない」のである。

だから、経験値が低い中途半端な状態で「共感」しようとすると
相手のことを見ずに勝手に相手像を作り上げてしまうことがある。
そして、気づくと自分が見たいようにしか対象者を見ていないことがある。

中途半端な共感よりも観察が重要

私が接客業をやっていてよかったなあと思うことの一つに
友達にならないと予想されるタイプの人と
仲良く話せる・接することが挙げられる。

教室という場所柄、少なくとも5000名以上とお会いして、色々な方に会い(世代、生活)、
回数を重ねてお会いする度に色々な発見があり、色々な考え方を見て
色々なパターンのシニア層を「観察」してきたので
「人物像」は比較的たくさんパターンを保有している。
色々な生活を知り、「なるほどなあ」と思うが、特に共感はない。

でも、観察することにより、色々なことを発見できる。

老眼ではないので、老眼の気持ちに共感はできないが
老眼の人の操作を観察することで、問題点と改善点が見つかる。

駅の階段をかけ上るとで息切れはするし、膝も弱くなってきたなあと思うけども
シニア層の気持ちになれない。
気持ちになれない以上、共感はできない。
が、シニア層の発言などを聞いていると、色々な発見がある。

共感ポイントは探り、提供するもの。

ウェブの操作も、普段の生活も観察が重要だと思う。
観察により、アンケートでは見えない肉のついた姿が、
そして共感では見えない色々なものが見えてくる。

しかし、それをお客様に提供するときには、お客様の共感が必要だ。
だからこそ、観察でお客様が何に共感するかを探り
共感を提供すること提供する。

誰だって、人のことなど解らない。
自分のことすら解らないことがあるから
色々な啓発本が流行っていたり、
どうやって自分の心をコントロールしようかなどと悩むのだから。

だから、「解る」ことにこだわらずに
観察することから始めませんか?
(ただし、仲いい人は是非とも解りあってください。)

シニアの観察やウェブ操作観察については、ご協力できますので
お気軽にお問合せ下さい♪

余談

そんなこんなで、私はあまり共感をしないのだが、
先日、お客様が
「運転している時に、右と左とどちらを走ればいいのか解らなくなる時がある」
という話をされた。
思わずその時「私もそうなんです!解るー!!!共感!!!」と喜んでしまった。
そして、「共感」という感情にちょっと新鮮な気持ちを抱いた。

多分、その出現数が少ない当事者の場合、すごく共通意識が生まれるんだと思う。
だから、海外で同郷の人に会うとものすごく仲間意識が生まれるのかなと
ふと思った。

でも、共感しても、その人が運転する車には乗りたくないなあ。
(私は今は一切運転していません。)

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