「解りたい」けど「解らない」-シニア層と機械と「解りやすさ」

「解りたい」けど「解らない」-シニア層と機械と「解りやすさ」

PH152_367
先日、弊社で電話工事をしていただいた。
終了後、工事内容についての説明を聞いた。

担当の方が一生懸命説明してくださる。
「この回線がこうこうこうで、
あの回線がこうこうこうで。」

しかし、「なるほどー」と言った時に自分の空返事に、自分自身で驚いた。

そして最後に「ややこしくて難しいですね」と出かけた言葉を飲み込んだ。

何も解っていないのに、
解ろうともせずに「解らない」と自分自身で決めつけている
自分自身を発見して驚いたからだ。

「解ろうとしない」は、老化の第一歩だと思う

自分自身に驚いたのは、自分の行動だけではない。自分自身の老化についてでもある。

私は下は小学生から上は90歳まで接する現場にいるため
「老化」について、色々なことに気付くことができる。

その中の一つ、「老化」を感じる内容に、「解る」ためのプロセスがある。

若い人は、その説明がしっくりこなかった時に自分の言葉で「それはこういう意味か」と想像するが、
老化が始まってきたと感じられる人は、
自分が理解できない言葉に会った時に、その場で固まってしまう。
それ以降は、「解らない」を前提に解ろうとする為なかなか頭に入らない。
※老化が始まってきた、ということなので、実年齢と相関関係はあるが、例外は大いにある。

解る=覚える になってしまうため、
覚えられない=怖い=触りたくない・知りたくない
とりあえずシャットアウトしてしまえば、安全である という状態なのかなと
思っている。

だから、シニア層の言う(若い人も言う)「複雑すぎてわからないのよ!」は、
本当は、解ろうとすることをしていないのではないかと、ちょっと思っている。

解りたい、けど、解らない。

先日、シニアの方が
「私、パソコンの概念が解らないから、困った時に対処できないのよね」と仰った。
概念を説明しても
「やっぱりパソコンって難しいわよね!複雑すぎて解らないわよね」の一点張り。
「ちょっと見た目が変わるとすぐにできなくなっちゃうの」

その言葉を聞きながら、「解りたいのだろうけど解ろうとしないで諦めている」
先日の私の姿が被った。(私は全く解りたいとも思ってなかったけど)

難しいという先入観や、きっと解らないだろうという気持ちが、
「解りたい」を凌駕しているときは、頭の中にまったく入っていかない。

「解りたい」と思っているのは本心だ。その時は。
「いつか解るようになりたい」とも思っている。心の底から。
「できるようになったら本当に素敵だ」と思っている。今は。

しかし、現実としては、今困っていることに対処できればよくて、
対処できてしまえば、次困るまで、「解りたい」情熱は消え失せてしまう。

なぜならば、皆さんは、機械を中心に生きているわけではないし、
ほかにいろいろ夢中になることがあるし、
解ったからといって、どうなることでもないからだ。機械は動いているし。

ユーザーはあまりがんばってくれない

操作が解りやすければ、シニアの方にも使ってもらえるのではないかと
先日、某メーカーの方が話していた。

しかし、解りやすくても、解ろうとしない人には、解りやすさは伝わらない。
使った後の結果が明白で、それをするのに、1,2,3でできることが重要なので
解りやすい機械、という名目では、ユーザーは手を出さない。

いじりもせずに「難しいことはしたくない」と仰る方に
「この機械は解りやすいから大丈夫」と伝えても
相手は何を言っているのか解らないだろう。
反対に触らずして
「あなたは使える人だから解りやすいって言うのよ」と言われるのがオチだ。

ユーザーは、いつか解りたいと思っている/言っているけど、その優先度は限りなく低い。
だから、提供者はユーザーに「頑張って使ってもらえる」「応用してもらえる」ことを
期待してサービスや商品、サイトの開発をしてはいけない、と思っている。

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