自己評価の難しさ

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自分自身で、自分のスキルを評価するのはとても難しい。
Uさんは、入会時に
「僕は仕事でもずっと使っていたから、操作はほとんど困らない。」
「初心者ではない、中級者くらいからはじめたい」と仰った。

通い始めたUさんの最初の質問は
「ちいさい「っ」の入力の仕方」であった。
それでも、彼は、「ずっと使っていたから問題なくできているレベル」だったのだ。

Aさんは、インターネットでの購買意欲が高く
ネットで商品を見つけては購入している。
ただし、毎回、こちらのアシストがないと購入できない。

しかし、先日言われた。

「まあ、僕は結構使えるようになったけど」

以前から比べてはるかに進化しているが
「使えるようになった」と言えるかというと、?マークがつく。

自己評価は、あまり役に立たない。

自分の「できる」は、大体「できない」と思っていい

お恥ずかしい話であるが、昔々、私が英語学校に入学した時、
入学試験を受けたら、思った以上に低いクラスになったことがあり
すごくショックだったことを思い出す。

自己評価なんて、そんなものかと、つくづく思い知った。
黒歴史。真っ黒歴史。
(そのおかげで今では、となれば、素敵だが、今じゃ昔よりはるかにひどい自信がある)

弊社の運営するパソコン教室でもそうだ。
「大体できると思います」「普通に使ってます」という言葉は
その「大体」や「普通」の標準、
そして、さらに、「ゴール設定」を見極めるまでは
話を鵜呑みにしてはいけない。

困ってなければ、「できる」という評価

新人を育成している友人と話していると
「普通にできる」の温度差で悩む、という話がよく出てくる。

教育者側は
「学校でも習っているだろうし、まあできるだろう」

新人側は
「そこそこ普通にできるし、困ってないし」

実際に現場で教えてみると、その「普通」の温度差に愕然とする、という話だ。

シニア層も然り。
「ずっと使っていたから、大丈夫。
Yahoo!で甲子園の結果を見ることと、amazonでの買い物はできるし、
エクセルの数値をチェックするくらいできるから、大体できる」

実際は、新しいものになると「使ったことが無いからできない」

この場合、「できる」というのは、今までのやり方の範囲内であれば「できる」であり、
新しいやり方のものが出ても応用できる「できる」というのとは大きく違う。

新しいこと=解らない→やらない

先日、パソコンの利用についてのネットアンケートを実施した。
各オフィスソフト毎に使いこなし度やオフィススキルによる業務効率について聞いた。

各ソフトともに「普通に利用している」と回答した50歳代の方は50%を超えたが
自由回答欄で「最近どのようなことに困ったか」という設問に対しては
「新しいソフトは解らない」「印刷がうまくいかない」「保存が解らない」等
基本的な「困った」が並んだ。

確かに困っているが、誰かに聞けば分かる・解決してもらえるので
自分で解決しようとは思わない。
今までのやり方以外のものは「困る」けども
「今までのやり方ならうまくいっているから自分はできる」
「新しいからできないので、誰かにやってもらう」につながる。

そして、誰かに助けてもらうことができると
「普段の生活で困っているとは思わない」
「困っていないから自分は概ねできている」
と困っていたことすら忘れてしまう。

困ったら忘れてしまおう、ホトトギス。

シニアの方と話していたときに
「先日、とあるサイトで買おうと思ったが、うまくいかない間に閉じてしまって、
どこで探していたのかすら忘れてしまった。」
という話が出た。

「私はそこそこインターネットで検索もできるし、
決して得意とは言えないけど、困っていない」という方である。

しかし、「できないこと」は、「なかったこと」になる。

だから、自己評価をあてにしない

「自分は問題なく使えている」という人を横で観察していると
全く本人のゴールとかけ離れたところに到着し、
「できた気がする」としているシニアは多い。

本人の望むゴールに達成しているのかどうか、
その人が客観的に「できているかどうか」は
熟達した人の客観的な指標に基づく観察以外に測ることはできない。

情熱があり、ゴールが明確であれば、ゴール像が明確だが
情熱もそこそこ、ゴールは曖昧であると
その人の評価である「できた」は、実は目指していたゴールと遠く離れていることはよくある。

ユーザーの「できた気がする」「解らないことはなかったことにする」を
避けるためには、ユーザーの観察から始めることが重要だ。

(と、老若男女を見ていて思う)