「難しい!」という声をよく聞く。
オフィスソフトはもちろん、インターネットも「難しい」。
今回は、いろいろな人にパソコンだけではなく、
最近「難しい」と感じたことについてヒアリングを行い
「難しい」という意味を探ってみることにした。
思い通りにならないものは「難しい」
「女心」「株価」「配線」「数学」「就職先」「エクセル」等
色々な答えが「難しい」候補として挙がった。
その難しいについて、いろいろまとめてみると、
思った通りにならない、自分が考えていたことがスムーズに出来ない時に
人は「難しい」と感じることが解った。
そして、解決したいもの、得たい事象が手に入らない時間と
難しいと感じる気持ちは比例する。
後ろ向きな「難しい」
いろいろ聞いてみると、難しいという言葉は
・難しいからあきらめたい、考えたくない という思考停止ワードと
・難しいから、ワクワクする、挑戦したるっ! という前向きなワード
に分類される。
今回は、「難しいから考えたくない」ということについて考える。
多くの人が、手をつけなかったり、手を止めたり、諦めたり、やめてしまうワードだ。
「難しい、無理。」「難しい、できません」的な、よくある後ろ向きワード。
ナニが原因で「難しさ」を感じるようになるのか
「難しい」という言葉の裏には、人が原因のもの、モノゴトが原因なものと
大きく二つに分けることができるようだ。
人が原因の「難しさ」は、その人の解決へのモチベーションや
問題に会った時の姿勢、そして解決までの過程上で起きる難しさを指す。
人が原因の「難しさ」については、第3者による、励ましや、アドバイスをすることで
快方に向かうこともできる。
(ただし、完全に手伝った場合には後ろ向きワードは解決されない)
また、モノ・コトが見せ方を変えることで、後ろ向きの姿勢を少し前に向かせることもできる。
まずは人が原因の「難しさ」について解説をしていこう。
始める前に感じる「難しい!無理っ!」
人が、モノゴトを難しくしていることも多い。
どういうときに「難しい」という言葉が出るかを洗い出してみた。
◆ できないに違いないという思い込み
何もしないうちから、「難しいもの」と思い込み、何もしようとしない場合、
難しい体感が増加する。「できない、難しい」
◆ やりたいことが高度すぎる(レベルが違う)
基礎をしっかり学習しなくてはいけない時に、応用をやりたがる場合には
とても難しく感じる(当然だ。)
料理を始めたばかりで、本格中華料理を作ろうとしているような感じだ。
◆ 解決方法の想像がつかない
これは、本人が解決のための手段を使ったことがない、
経験値が浅い=解決したい問題のレベルが合っていない、場合もあれば、
モノ・コトが解決手段を想像させない作りになっている場合という
二つの問題を持っている。
◆ したいことがはっきりしていない(結果があいまい)
ゴールがあいまいなので、何が正解かわからない場合、
すっきり感がないのも相まって「難しい」と言われる。
◆ 仕組みを全く理解しようとしない、事象に歩み寄らない
難しい、を繰り返し、そのモノゴトに近寄らない人は
とにかく「難しい」を繰り返す。
◆ 自分は悪くない、勝手になった等思い込み
「自分は何もしていない」ということが前提にある場合、
人は問題を他者(モノ)のせいにし、解決をしようとしない。
自分は悪くないのだから、「難しい」の解決には歩み寄らない。
この場合は、難しいというよりも「難しいせいで自分が苦労している」的な、
問題を人のせいにする場合が多い
◆ 解決する気持ちが全くない
難しい、もうやーめた、の場合、そもそも解決する気持ちが薄いということがある。
そこまでして使いたくない!そんなに苦労してまで使う程のもの?
という気持ちが強ければ強いほど、難しいとすぐにあきらめてしまう。
「難しいから無理~。やって~。」的なものだ。
はじめた後の問題点
◆ 手順を覚えようとしてしまう
最初のうちは、ひたすら「やってみる」ことが必要だ。心を無にしてとにかく、数をこなす。
ただ、手順を覚えてはいけない。
ここでは、体で覚えるために数をこなすのだ。
ここで、手順を覚えようとすると、応用が利かなくなってしまう。
人間は、忘れる生き物だ。覚えようとすると、忘れることを認めなくなる。
だから、忘れていいのだ。忘れて、忘れて、思い出すことが必要なのだ。
そして、多くこなしているうちに、自分の中で法則や規則性を見つける。
そうすれば、しっくりと理解できる。
手順を覚えようとすると、「似ているけれども、違う事象」が起きた時に、
応用が利きにくくなる。
覚えようとする人ほど忘れたことを忘れてしまうので
「難しい」という言葉が多くなる。
◆ 原因が解らずにやみくもに解決しようとする、もしくは、解決しようとしない
何か問題が起きた時に原因を把握しようとせずに、
とりあえず目の前にあるものを
やっつけようとすると、「難しい」という言葉とため息が出る。
◆ 正解を求めすぎる
教えていると、よく、正解を求められる。
「こういう場合は何が正しいの」「この違いはどう見分けられるの」
「こういう場合は、どういう言葉で調べるの」
正解が1つではない、やり方がいろいろある場合には
その事実にパニックを起こしてしまうこともある。
「いろいろやり方があると難しい」「答が教科書と一緒じゃないと難しい」である。
◆ 原因を分解しない
難しいと感じた理由を探そうとせずに、難しいことに多少怒りを覚えながら
とにかく、動かしてみたり、引っかかった理由を探そうともせずに
同じことを繰り返したり、問題は操作の中にあるのに
「困っている」という感情で頭がいっぱいになったり…。
問題点を分解しないのも、「難しさ」を増長させる原因になる。
難しい!を乗り越えるために
先日、自分もテレビの録画に苦戦していた。
私は、パソコン以外の機械は、苦手なのだ。(苦手というより、あまり興味が湧かない)
操作中に何度も「難しい!なんなの?もうやだ!」と叫んでいた。
その「難しい」の裏には
・頼まれていたことなので、モチベーションが低すぎる(できなくても私は全く困らない)
・メモに残された手順だけを追っていたのでボタンを押す意味を理解しようとしなかった。(理解しようとも思わなかったのが本音)
・一つのボタンを押し忘れていたのが原因だった。それなのに、出来なかった時に初めから操作を繰り返すだけで、悪い所を調べようとしなかった。(考えることを完全にやめていた)
・いらいらしていたので、「できない」ことが頭を占め、解決方法を探ろうとしなかった。(「あああもうやだ!難しい!」)
・リモコンのせいにしようとした(「は、なんなの?このリモコン。ありえん!もっと解りやすくすればいいのに」)
それでは、このような「難しい」という一言で考えることをやめよう、
使うのをやめよう、としている人に
どうやったら嫌いにならずに、諦めずに使ってもらえるだろうか。
難しそうに見える、というあいまいな言葉で、
サービスを触ろうとしない、触ってもすぐに「無理無理、難しい!」と言ってしまう人に
提供者は何をすればいいのだろうか。
人は間違える。人は忘れる。
モノ・コトは、ヒトから難しさと煩わしさを軽減させるために
何を気をつけなくてはいけないのだろうか。
次週は、モノ・コトが原因で使えなくなっている事、
そして、ヒトをサポートするためにすべきことについて書いていこうと思う。