私事ではあるが、陶芸をはじめて5年になる。
趣味だからと、基礎から学んだわけではないので
いつも、作陶のための技術は付け焼刃だ。

先生に「こういう時はこうするといいよ」と指導をいただき、
「なるほど」と、その場限りのやり方で覚えようとするので
応用が利かない。そして、新しい技術を自ら調べることもない。

新しい作品を作るときはどうするかといえば
今までのやり方でやってみて、
難しかったり、できなかったら、先生に聞く。

そして、なんとなく形になり、多少の失敗があっても
「まあ、こんなものか」で終わる。

そんなんだから、多少はうまくなっても、「上達」とは程遠いのが現状である。

今日の前ふりは以上。

困っているという言葉の意味

困っているという言葉には、色々な意味がある。

シニア層と困っていること

多くの場合、「今直面している困っていること」が「困っていること」である。
それが根本的な解決かどうかは関係ない。

例えば、陶芸で言うならば
ろくろを回している最中に形が崩れた・穴が空いた
「先生、助けて!」で助けてもらっている感じである。

とりあえず、今の問題が解決されればよい。

次に出てくる「困った」は、
理想と現実とのギャップにより生じる。

この「困った」が生まれるには、上昇志向が必要である。

例えば、陶芸で言うならば
もっと、すごく、うまくなりたい!という気持ちが
技法を基礎からしっかり学ぶことである。
ちなみに、たくさんあるらしい。
こんな時にはこんなパターン的なものがあるらしい。

教える側とすると、とても楽しい。

困っていることに気づかない

そして最後は、「困っていることに気づかない」である。
この事象は、上昇志向があってもなくても、存在する。

なぜならば、「困っている」という状態に
気づいていないからだ。

他人から見ると
「もっとこうしたらいいのに」と思う。

例えば、「もっとインターネットをこうやって使えばいいのに」
「もっとこういう関数を使って業務効率をよくすればいいのに」
「ユーザビリティをよくさせた方が転換率が上がるのに」

と言われても、意味が解らない。

「お困りのことはありませんか」と、聞くと

「困っていない状態」が解らないので

「いえ、べつに」と答える。

「あなた、これにお困りですよね」と、聞くと

「いや、べつに」と答える。

お困りのことはありませんか?の質問の愚

では、困っているけど、気づいていない人にどうアプローチするか。

簡単に出る答えとしては、
・皆が本質的に困っていることを知ること
・困っていることに気づいてもらう仕掛けを作ることだ。

しかし、「お困りですよね」「これをこうすると困らなくなりますよ!」という
アプローチで近寄っても、困っていないから、「うるさいなあ」としかならない。

困っている人に対するアプローチは
困っていそうな人に、困っていることを聞くことではない。
だって、困っていないのだから、「困っていない」としか答えない。

困っていることに気づいていない人たちは、
困っているかどうかなんて気づかない。

困っていることを知るためには、観察しかない。
発言や行動に対し、質問をしたり、観察をすることでしか
困ったこと、その気づき方は発見できない。

シニアビジネスの相談を受けるときに
よく、「シニア層はこういうことに困ってると思うんですよー」と聞かれ、
「多分、本人たちは、そんなにそれを意識してない」と答え、もやもやしていたのですが
これで、少し、もやもやがとれた気がする。

さて、これをどう活かすか、楽しいんだな、これが。

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