年を取ったな、と感じる5つのシーン


写真提供 ペイレスイメージズ

人は毎日年を取っている。
でも、その動きはゆっくりすぎて、年を取っている本人には気づくことができない。
ただ、振り返ると、ずいぶん年を取っている。

若い人にとっては、60歳も70歳も大きく違わないように見えるのではないかと思う。
それは、私たちが10歳代のころに、20歳も30歳もオバサンに見えたのと同じ感覚なのではないか。
実際には、60歳と70歳は大きく違うし、80歳も大きく違う。

仕事柄、中高年・高齢者と接することも多いが、
見た目の問題だけではなく、
その方たちを見て「一気に年を取ったなあ」と思う
シーンについて書いてみたいと思う。

1. 動作編

動作がゆっくりになる。瞬発力が低くなる。

これは、加齢によるものなので、概ね仕方がない。
少し耳が遠くなると、話を聞き流すことも多くなるし
老眼が進むと、色々なものがぼんやりしてくる。
短期記憶も衰えてくる。これは誰でも起こる話。
ただ、すごく、動作がゆっくりになると、「年を取ったなあ」と思う。

2. 頑張ることが億劫になる

体が少しずつ衰えていくと、努力しなくてはいけないことが増えてくる。
新しく覚えなくちゃいけないこと、判断を求められること、
それがすべて億劫になってくる。
頑張ればできるが、頑張らなくてもいいかなー、という気になると老化が進み始める。
頑張ることは大変だが、ここで辛くとも体を動かすか、動かさないかは大きな差を生む。

頑張らなすぎる人を見ると、「年を取ったなあ」と思う。

3. 思考編

新しいことに対して否定的になり、手を出そうともしない

新しいことを始めるのが面倒になる。
体が思うように動かなくなるというのも原因の一つだが
それに合わせて新しいものに興味を持ちにくくなる。
頑張りたくないな、もう年なんだもの、が先に出てしまい、新しいことに手を出さない。

一つのことに対して応用を利かせようとしなくなる。
こんなこともできるかも!と思わなくなる。

年をとっても日常から鍛えていれば問題ないのだが、
そういうストイックな人は多くない。
新しい人間関係など、新しいことは全体的に「面倒」で括られてしまう。
これが進むと、色々なことがどんどん面倒になっていく。

ネガティブ思考が増えたな、と思うと、「年を取ったなあ」と思う。
ただ、今より若いときはないのだから、頑張って新しいものに挑戦してほしい。

4. 発言編

ネガティブ思考が発言に出るようになる。
自分は年を取ったからできない、面倒くさい、という否定的発言が増える。
「そんなの無理よ、年だもの。」「必要ないわよ」という。

今日が昨日と同じ日になる。
愚痴が増える。話が長くなる。同じ話がループする。昔の話が増える。
会話に「やっぱり」が増える。自分の反対意見に対して、声を荒げる。
人が話しているときに割り込み、人の話を聞かない。

若い人との交流を好まなくなる。
周りが年寄扱いをし始める。
そうなると、ぐっと、年を取る。

「年取ったんだけど、ゆっくりでも頑張るわ」という人を見ると、こっちも頑張ろうと思う。
「年なんだから、無理よ」という人を見ると、「本当に、年を取るんだなあ、ヒトは。」と思う。
3年前は、そうじゃなかったのに。

5. 外見編

表情が乏しくなり、おしゃれではなくなる。

外での交流がなくなって、外部からの視点がなくなるとおしゃれではなくなってしまう。
季節に合わせた色を取り入れたりせず、外に出るときもできるだけ楽な格好をしようとする。
おしゃれだった方が、おしゃれではなくなると、「年を取ったなあ」と思う。

しかし、恋心を持ったり、外部の人と交流が始まると、目がキラキラしたりするものだから
見ているだけでとてもとても嬉しい。高齢者よ、恋をしようYO!

いかがでしょう?

誰でも年を取るのですが、年齢に流されるのではなく、年齢筋力を鍛えながら
無理して若ぶるのではなく、常に、毎日が愉快なお年寄りになりたいなあと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です