パソカレッジ目白校設立
会社設立
パソカレッジ目白校とパソカレッジ高田馬場駅前教室の2教室を運営するマミオン有限会社を設立。
・パソコン教室フランチャイズ展開開始
・シニアのためのウェブユーザビリティ事業、シニアマーケティングリサーチ事業開始
第1回大人の数学塾開催
大人のための数学教室大人塾の原型です。
当初は社会人向けの数学勉強会(サークル)でした。
皆で、東大で出題された数学の問題を解き、勉強後は飲み会。勉強の後のビールが美味しかった!
1か月に1回開催され、1年以上続きました。
アイトラッカー導入
シニア層のためのウェブユーザビリティ向上のため、アイトラッカーを導入。
さまざまなECサイト様、ウェブサービスを提供している会社様や自治体に対してシニア層のユーザビリティ分析を実施。※現在は保有していません。
また、シニア市場が注目を集める中、シニア向けパソコン教室が30店舗になりました。
大人塾開始
3月11日、東日本大震災が起きました。
教室は満席でした。どうやって無事に皆さんを家に帰そうか、いろいろ悩んだのを覚えています。
この日を境にシニア層の外出意欲が減り、通学者がぐっと減りました。
そこで、大人のための数学教室大人塾を開始いたしました。(開始は11月)
当初は大人の皆で楽しく中学受験の問題を解くなどのシーンも想定していました。
また、シニア層の新規市場開拓も目論んでいました。
「シニアが使いやすいウェブサイトの基本ルール」監修
シニアが使いやすいウェブサイト基本ルールの監修を致しました。
ムードルトーキョーカフェ初参加
オープンソースのラーニングマネジメントシステム(LMS) Moodleでサービスを提供できないかと画策しているところでMoodleTokyoCafeを知り、初参加。
ここからMoodleにどっぷりはまっていきます。
オウンドメディア開始「基礎計算コース」
大人塾の運営にも慣れはじめ、大人の大半が「分数でつまづく」事も分かってきました。
分数の計算のために教室に来ていただくのは忍びないと、オウンドメディア「基礎計算コース」を開始いたしました。
大人塾Eラーニング開始
紆余曲折あり、大人塾のEラーニングを開始いたしました。コース作成も問題の入れ込みもとても大変でした。
当時は、コースも少なく、システムもできていなかったため、申込があると手作業でLMSに登録していました。大変でした…今ではいい思い出です。
「史上最強のNMAT、JMAT」を上梓
はじめての数学参考書を上梓。制約(ページ数の制限)があるものを制作するとはこんなに大変なのか!と驚く日々でした。編集者さん、本当にお世話になりました。
パソコン講座eラーニング開始
パソコン講座のeラーニング efcon(エフコン)を開始いたしました。
動画とテキストで分かりやすいと好評をいただいています。
ゆるい挑戦は続きます。今後ともよろしくお願いいたします。
社名の由来
「タキオン」という物質があります。 タキオンとは光よりも早い物質。
気付かないところで、それでも物質として存在していてその速さは光よりも早い。
人のつながりというのは原子分子の関係だと思っています。
どちらかがえらいとか、どちらかが偉くないとか、そういうのは原子の世界にはない。
個性のある原子が必要とされるところで本当に美しい形でつながって、例えば二酸化炭素(CO2)、水素(H2)、酸素、(O2)、それぞれ同じような要素を持ち合わせていながら、そこから発生する効用は全く違います。
人間社会もそうだと思います。
昔からの知識があって、そしてそれを否定するだけではなく生かす事によって、前任の「間違い」も含めて新しいものが出来上がる。 もし、前が正しいだけであればそれはずっと続くかもしれないし、そこに新しいスパイスをつけることによってもっと時代にあった良いものができる可能性がある。
そういう気持ちでもって、「マミオン」と名づけられました。 姓名学の先生に診てもらったのですが、ものすごく優しい名前らしいです。 名前に負けないように、日本中に、世界中にワクワクパワーを振りまいていきます。
マミオンができるまで
マミオンの根っこ(1998年)
今までに、いくつか人生を変える出会いがありました。
代表の森が学生時代にインドでバックパッカーをしていた時に、
フィンランド人の老夫婦に出会いました。
ご主人様が72歳、奥様が70歳になるその夫婦は、
出会って50年、結婚して48年、そしてインドに「ヒッピー」の旅に出ました。
(「だって、娘が旅に 出ていて私たちを心配させるんだもの。
私たちだって、心配させてみたいわよね」とおっしゃっていました)
二日間、彼らのお付のようにくっついて、
話を聞き、自分がこういう老夫婦になりたい!と決意。
こんな夫婦が増えたら、世の中はきっと面白くてたまらないだろう、
そのためには、それをできる世の中を創ってみよう!
そういう高齢者が増える世の中を創ろう、それがマミオンの核の部分です。
同じくインドでバックパッカーをしているときに、
現地で知り合いになった人の家に泊まっていました。
その生活の中で、世の中は布のようなもので、
横糸(つながり)と経糸(一人の人生)偶然の出会いで、
自分の人生とインドでの生活が絡んだ偶然について、不思議に思っていました。
その中で、慣習も、考え方も、見えるものも全く違う人々と一緒に生活し、
何が正しいかとか、これが正しいとかはなく、一人の旅人として、
人生とか、世界の旅をしていこう、とも思いました。
正しいことより、楽しいこと。
捉われずに、楽しく、身軽に生きていきたい。
インドの経験は、自分の中で大きく何かを変えたのかもしれません。
マミオンの根っこはこの段階でできました。
憧れる大人を増やしたい、大人の可能性をもっと広げたい。
会社を創るなら、そういう会社にしたい。
そして、ネット業界に就職(2001年)
森は縁あってネット業界に就職する事になりました。
レコメンデーションエンジンというシステムを営業しながら、
ECの成長に刺激的な日々を過ごしました。
ECサイトでどう売り上げを伸ばすか。
お客様も、提供者もトライアンドエラーを繰り返す、その熱気は今でも忘れられません。
父の会社でパソカレッジを設立(2002年)
色々あり、父の会社の仕事を手伝う事になりました。
やるならば、新しくて、興奮できる事を!と思い立ち、
従来の資格・仕事系のパソコン教室から
シニア向け・初心者向けのパソコン教室を作ることを思い立ちました。
実は、マミオンにはもう一人の人物も欠かせません。
それは、祖母です。
私の祖母はとても愉快な人で、
80を過ぎても海外に一人でひょっこり行くような
勇気があるというよりも「怖い」という2文字が抜けているような人でした。
新しいものが好きで、好奇心が強くて、
常識という言葉とはかけ離れている、大好きな祖母でした。
祖母は山口弁の上に、耳が遠かったために
電話で会話することはとても難しいことでした。
しかし、彼女は筆まめで、毎日手紙を書くのが趣味でした。
ところが、高齢になるにつれて
手が震えて手紙を書くのがしんどくなったという話を聞きました。
パソコンだったら、メールだったら毎日思う存分、
誰かに宛てて発信できるのだろうと思いました。
そういう、祖母のような人のためのパソコン教室を創りたい。
90を過ぎた祖母が通える教室、
祖母が喜んでパソコンに向かいたくなるような、そんなパソコン教室を開こう!
そう決心し、2002年、目白にパソコン教室を開きました。
そして、多くの中高年、高齢者にパソカレッジにお通いいただき、
行列のできるパソコン教室となりました。
「共育」という言葉との出会い
全く「教育」に興味が無かったのですが、パソカレッジを始めてから、
人が楽しそうに学ぶ姿、解った時の背中からにじみ出るキラキラ感に、
言葉に出来ないほどの感動を受けました。
「インドで出会ったあの老夫婦に会った時並みの感動!」
学ぶ事が楽しい、出来る事が増えた、今まで知らなかった事が解る様になった、
その教育の素晴らしさを知った時に、
某R社に努めている友人に「共育」という言葉をいただきました。
高齢の方が育つ。それを見て、若者が感動して育つ。
何かを見て美しいと言う気持ちを、誰かに伝える。
誰かが感動する。共に感動する。 新しい事を知る。
誰かと喜びを分かち合う。共に喜ぶ。
上から目線の「教え、育てる」ではなく、「共に育つ」という言葉にこそ、
「私が目指すパソコン教室」を見出しました。
高齢者だからできないとか、やっても意味がないとか、
そういうネガティブな気持ちが大嫌いになりました。
人生で今が一番若い、やりたくなった時にやる!
当時83歳のYさんも私に影響を与えてくださいました。
御主人が亡くなって泣いてばかりの毎日が、
パソコン教室に来て、いろいろできるようになって、
そして一人でレストランに入ることもなかったのに、それができるようになった。
デジカメを使い始めたことで、色々な所に行くのが楽しくなった。
72歳だったHさんは、病気になり左半身が動きませんでした。
が、パソコン教室に通い始めて、日常をブログを綴るようになり、出来ることが増え、
それまでは左半身が動かないのを人に見られるのが嫌だったため、
旅行なども行かなかったのが、ブログのネタとして旅行に行くようになり…
パソコン教室は、高齢者の可能性を創るんだ、という
とてつもないわくわく感が私を包みました。
大人の可能性は、いえ、人間の可能性は、本当に無限。
学びを通じて人生をもっとワクワクなものにできる。
パソコン教室内での出会いもありました。
そういう場所を提供しているわくわく感から、
フランチャイズをしてこのようなワクワクな場所を広げていこう、と思ったのが2003年です。
そして2003年5月20日、独立いたしました。