先日、86歳のN氏と話をしていた。
最近、かなり難関な語学試験を突破したそうだ。

N氏が言った。
「年を取ったら、若い人の3倍以上は努力しないとダメ。
それでなくても、物覚えが悪いのだから、それ位やらないと習得できないよ。
僕はさ、死ぬまで勉強ってモットーにしてるんだ。
でも、ほんと、勉強するって楽しいんだよね。好きなんだよ」

あまりのかっこよさに、思わず目がハートになった。

習得するために、何を勉強したらいい?

少なくないシニア~高齢者に
「パソコン、どうやったら詳しくなるのかしら」とよく聞かれる。
「何を勉強したら習得できるのだろう?」
「詳しくないから、何かが起きた時に困るの。何を勉強したらいい?」

とても返答に困る質問だ。
「勉強」しても、実際にすぐに役立つかどうかは解らないし、
困ったことはそうそう起きる事でもないし、
すぐに役立たなければ、興味を失ってしまうだろう。

何を覚えたら、何を学習したら、「習得した」と言えるのだろうかと
返答に悩む。

どうしたら高齢者は「習得」することができるのだろうか。

一つは、続ける事

先日、Yさんが、先日買ったばかりのiPadを出して、
片っ端から「このアプリ何?」と
開いて、聞いて、うなづいて、閉じる…のザッピングをし
「よく分からないけど、色々できて難しいね。」
と、画面を閉じた。

次の時も、ほぼ、同じ質問である。
「いつになったら詳しくなれるのかな」と彼がつぶやく。

何ができるか、頭に入っても、使わなければ習得にはつながらない。

解らなくても、とにかく、使い続ける事。
少しでも、毎日、触ること。
そして、少し、好きになること。
好きにならなければ、続けられないから。

次に、困ったことに遭遇すること

続けるだけでは「習得」にはつながらない。
「困った」に遭遇して、どうにか乗り越える事が重要だ。

続けないと、困ったことには出会わない。
だから、続けることがまず第一。

そして、困ったことに遭遇した時に、
誰かに丸投げしてしまうと、山を乗り越えられない。

多くの人が、困った時に「習得」の峠を乗り越えられない。
困った時に、誰かに助けてもらいながらでも、
自分で覚えよう、どうにかしようという気持ちが
習得への扉をあける。

ここを乗り越えると「習得した」感が出て、色々な興味が湧いてくる。

よく高齢者が「簡単」と書かれた商品を持って
簡単なはずなのに難しい、とぼやくのは、
ハイキングコースは用意してあるが
道を間違えて石ころがある道に入ってしまった時の
乗り越え方が解りにくいからなのだと思う。

最後に、できることを増やしていくこと

同じことだけを繰り返すのではなく
人から教えてもらったり、テレビで見たり、ネットで知ったりすることで
できることを少しずつ増やして、
それを繰り返して自分のものにすることが必要だ。
これは、料理と同じだと思う。

そうすることによって、新しい困った自体に遭遇し、
困ったことを乗り越えて強くなるたびにさらに習得につながる。

高齢者と習得努力

高齢者は、若い人と比べてどうやっても覚えが悪くなるので
人の3倍努力が必要だ、とN氏は言う。

「でもね、」とN氏が続けた。

「若い子と一緒に教室に通ってるんだけどさ。
彼らは、若いから、できると思っているから、努力しないんだよね。
僕が3回読んだ本を、1回も読まない。だから試験に落ちるんだよね」

若い人でも習熟するのが難しいのに
高齢者はもっと難しい。

そして、若いころにできない努力を
高齢者になってできるようになるのも難しい。
だから、高齢者は「習得」が難しくなるのだ。

N氏はさらに言う。
「習得に必要なのは、楽しいことだよ!
楽しいから続けられるんだよね。
努力も、好きだし、楽しいからできるんだよね」

習得に努力が必要であるというのであれば、
「仕事だからしなくちゃいけない」的な強制がない
高齢者の世界では、本当に好きで、楽しくなければ続けられない。

楽しくて、さらに、少しずつ成長できるようなものでなければ
続かないし、困ったことに遭遇できないし、乗り越えられないから
習得できない。

楽しく努力ができる製品が、高齢者向け。

習得するステップは、老いも若きも同じだ。
私も、記憶力が減退してきているのを感じている今、
努力は楽しくなければ続けられない、
努力しなければ習得できない、というN氏の話は
本当に心にしみた。

その努力を考えて高齢者に対して商品/サービス開発をしないと
高齢者には受け入れられることはない。

簡単だけでは飽きられるし(単機能は除く)
色々なことができるものを提供すれば、道を外れたところで嫌になる。

高齢者に色々応用してほしいならば、習得ステップを考えて
提案が必要になるのだなあと、つくづく思う次第。

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